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みなさま、「千利休」をご存知でしょうか?
千利休は「わび茶」の完成者として戦国時代から桃山時代にかけて「茶道」の道を開いて全国に茶道を広め活躍した茶人です。
名言の一つとして、「釜一つあれば茶湯はなるものを数の道具を持つは愚かな」があります。
これは、無駄なものは極限まで排除して「本質を見なさい」ということです。
この記事では「表千家」の本質を追求しさらに「表千家」とはどんな流派なのかという事を一つの記事にまとめました。
この記事を読むと「表千家」について友達に説明できるくらいになれるようにまとめました。
それでは、表千家についてご紹介していこう🎵
表千家の歴史について
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千利休の死後(〜1591年)、千利休の2人息子(後妻の連れ子)の一人である
少庵宗淳(1546-1614)が自身の息子である元伯宗旦(1578年〜1658年)と一緒に
京で千家の復興に尽力する。この元伯宗旦がのちの表千家3代目家元となる。
さらに、この元伯宗旦には4人の息子に恵まれ、そのうちの長男である閑翁宗拙(1592~1652)は
父親の宗旦と折り合いが悪く早くに家を出る。(後に許されたとされ宗拙作の茶杓など今日に伝わるものがある)
その三男である江岑宗左(1613〜1672)は後継者として養育され、1642年に紀州徳川家に茶堂として召し抱えられる。
その4年後の1646年に父親である宗旦が隠居をし、家督を江岑に譲り「不審菴」を継がせました。
これが、現在の表千家の始まりとなります。
また、4代目で表千家の基礎を固めた江岑宗左以降、代々「宗左」(「宗佐」の場合もある)を名のるようになった。
表千家の流派について
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千家って茶道界では三千家って呼ばれているんだよね!
その通り!
しかも各流派毎に思想が違うんだ。
表千家は上記の歴史どおり、千利休の思想を色濃く受け継ぐ千家の本家にあたります。
そのため、利休の侘び寂びを重んじ忠実に守っているため他の千家流に比べると
かなり保守的と言えることが多いようです。
また、千家流茶道の本家でもある表千家は、古くからの所作を受け継いでいるのも特徴です。
表千家には「許状」がない!?
まず、表千家には裏千家のような許状という名前ではなく「相伝(そうでん)」といいます。
また、表千家の資格は全部で2つ。
表千家講師と表千家教授の2つのみです。
さらに、表千家の講師と教授資格の取得方法には制限が設けられており
表千家講師の場合の制限は下記の記載です。
- 同門会員であること
- 唐物以上を許されていること
- 師匠である先生からの紹介
表千家教授の場合の制限は下記の記載です。
- 盆点(表千家教授の取次できる最高の 免状)を取得して10年以上修行を続けている者
- 既に1人以上の弟子に免状の取次をして、10年以上修行を続けている者
- 家元の教授者講習会を全て履修し、終了証を持つ者
- 年齢が50歳以上の者
- 表千家教授からの推薦を貰っている者
- 同門会員であり、入会期間が連続して20年以上あること
最後に
今回は茶道の名家である、三千家の元祖:表千家についてご紹介いたしました。
ほかに、裏千家と武者小路千家があり、他の千家についてもご紹介している記事がございますので
もし、茶道の世界に足を踏み入れようとお考えの方はぜひ、他の千家についても当サイトの記事を
参考にして頂ければと思います!!!
最後まで見てくれてありがとう!!
他の記事もぜひ見てみてね!!
この大転職時代に自分に合った職種をお探しで
なかなか見つからない方はぜひ他記事も参考にしてくださいね🎵
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