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パルムドール受賞の【万引き家族】是枝監督と【花束みたいな恋をした】の坂本脚本家とがタッグを組んだ映画【怪物】について、
登場人物目線での物語の解説やタイトルの「怪物」とは何か、劇中の様々なシーンを考察を踏まえて徹底解説していきます。
この記事はネタバレ要素を含みます。
「ネタバレ注意」映画【怪物】結末ラストを徹底解説と考察まとめ
(考察)「怪物」とは
「怪物」とは、特定の一人や何かを指すのではなく、人間の内面や社会の中に潜む恐怖や不安、誤解や偏見の象徴と考えられます。
この映画では、その実態として存在しない「怪物」はみんなの心の中にあるということ。
見ている人も含めて「怪物」の正体を実感するものだと思います。
以下では、本作で描かれている各登場人物の視点で「怪物」を考察していきます。
各章の登場人物の考察
ここでは、各メインキャストからの視点(3章構成分)で考察していきます。
麦野早織(役:安藤サクラ)視点
母親としての葛藤と不安
麦野早織は、自身の息子である湊が学校で不当な扱いを受けていると感じ、母親としての強い怒りと責任感を抱きます。
彼女の視点では、学校や教師(特に保利純一)に対して不信感を募らせ、虐められた息子を守ろうと奮闘します。
早織にとって「怪物」とは、湊を傷つけると感じる社会そのものであり、それが教師、学校、あるいは社会全体の無関心として具体化されます。
しかし物語が進むにつれ、早織自身の理解不足や焦りが、息子とのコミュニケーションに影響していた可能性も見えてきます。
母としての成長
早織は物語を通じて、自身の偏見や息子を理解しきれていなかった部分に気づきます。
彼女の視点では、湊の心の中に潜む痛みや秘密を知り、母親としての愛と向き合う姿が描かれます。
保利純一(役:永山瑛太)視点
誤解される教師の孤独
正直、この作品で保利先生は一番かわいそうに思えます。
作中、麦野早織視点で彼は湊に対して一見厳しく接する教師として描かれますが、彼の視点では、自身の教育方針や生徒との関係性が誤解されていることへの苛立ちが浮き彫りになります。
彼の視点では、教育現場の難しさや、子どもたちと本当の意味で向き合うことの難しさが表現されています。
「怪物」とは何か
保利にとっての「怪物」は、教育現場における不寛容や、誤解による人間関係の崩壊です。
最終的には、湊や星川依里の本心を知ることで、自身の役割や教師としての在り方を再評価する瞬間が描かれます。
麦野湊役(役:黒川想矢)視点
友人との秘密と孤独
湊は、星川依里との友情や特別な絆を大切にしながらも、学校や社会からの偏見やいじめに苦しむ少年として描かれます。彼の視点では、「怪物」は自分たちを傷つけ、自由を奪う大人たちや社会全体に象徴されます。
湊にとって、星川は唯一心を許せる存在であり、彼らの「冒険」や「逃避行」は現実からの解放を求める行動として描かれます。
「出発の音がする」とは
湊の視点では、この言葉は希望や新たな世界への旅立ちを意味します。星川との絆を通じて、彼は「怪物」と思える世界の中で、自分のアイデンティティや生きる意味を模索していきます。
成長と受容
物語のクライマックスでは、湊が自分自身の思いと向き合い、「怪物」とは必ずしも他者だけではなく、自分の内面にもあることに気づく瞬間が示されます。彼の視点を通して、個人と社会の関係性や理解の重要性が描かれます。
作文「品種改良」の3つの謎
むくげの花と花言葉
むくげの花について
むくげ(木槿)は、アオイ科フヨウ属の落葉低木で、夏から秋にかけて美しい花を咲かせる植物です。以下に簡潔にまとめました:
むくげの特徴
- 学名: Hibiscus syriacus
- 花の色: 白、ピンク、紫など多様で、中心が赤いものもある。
- 花期: 夏から秋(7月〜10月)に咲き、1日でしぼむが次々と新しい花を咲かせます。
- 葉: 互生する卵形の葉で、縁が鋸歯状になっています。
- 高さ: 2~4メートル程度まで成長することが多い。
象徴と文化的意義
- 韓国の国花: 韓国では「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれ、永遠や不滅を象徴する国花です。
- 日本でのイメージ: 古くから庭木や生け垣として親しまれ、茶道の席にも使われる花です。
むくげの花の花言葉
ムクゲ(木槿)の花言葉には、以下があります。
- 「デリケートな愛」
- 「繊細な美」
- 「新しい美」
- 「説得」
- 「信念」
- 「尊敬」
- 「慈しみ」
花言葉の由来
- むくげの花は1日でしぼむものの、次々と新しい花を咲かせる特徴から、「信念」や「新しい美」というポジティブな意味が込められています。
- また、見た目の繊細さや優雅さが「繊細な美」という花言葉の由来となっています。
作文内容の意味・考察
作中では、星川くんが書いた作文の内容に、この「むくげの花」が登場します。
また、作文の文章中に
「むくげの花は暑い夏に花が咲きます。花をちょんぎらないでください。枯れるとサヤが残って、中にはたくさん毛が生えた種が・・・」
とあるように、むくげの花言葉である
『デリケートな愛』を表現したかったのでないかと考察します。
保利先生の「麦野は間違ってないよ」の意味・考察
これはもうみなさんの想像通りだと考察しています。
ネット上では様々な考えが交錯していますが、ここは一番綺麗な流れを尊重したいですね。
ズバリ「星川くんと麦野くんとの友情以上の想いがそこには存在したということ」を保利先生が気づいたと言うことですね。
劇中の中に散りばめられた謎
片方の靴の意味とは?
劇中では『片方の靴』のシーンが下記のようにいくつか存在します。
- 家に帰って来ている湊の靴が片方だけ
- 登校中に依里の靴が投げられる
- 校舎の屋上に登った保利先生の足元
ここで、1・2に関しては劇中で解決済みです。
これは、湊が下校中に、マンホールに向かって話している依里を見かけ、湊が依里に靴を片方化しているシーンがあります。
3に関しての考察
靴は対(2つで1つ)でないと成り立ちません。
保利先生は、劇中で恋人に振られる?シーンがありますが、そこと結びついているのではないかと考察します。
ですが、港と依里の関係は事実上恋人関係であるため、解決したのだと思いました。
「豚の脳みそ」とはどういう意味?
映画【怪物】では、この「豚の脳みそ」が原因で様々な勘違いが発生します。
劇中では、この「豚の脳みそ」は知能が低いといった意味で使用されています。
また、海外では以下のような投稿の内容で使用されているようです。
話題の日本映画『怪物』に、豚の脳が入った人間という罵倒言葉が出てきて、なんて酷い言葉を使うんだろうと戦慄したけど、考えてみたら香港ではバカの意味で普通に使われてた。
— Rie(りえ)香港 (@japanavi) June 19, 2023
「人頭豬腦(頭に豚の脳みそ入ってる人)」。さすが広東語、類い稀なる悪口の語彙力。 pic.twitter.com/nQ5OzU1JaF
湊の父の死因が意味するものとは?
劇中後半に、湊が依里に不倫旅行中の事故死であると言っていました。
これにより湊は母子家庭になっています。
ビルに火をつけたのは誰?
結論「依里」と思います。
それは依里が言っていた「お酒を飲みのは、体に悪い」と言う発言からです。
星川が引っ越し前に麦野についた「嘘」の真相は?
依里(星川)が秘密基地で湊に今度引っ越しをすると話しており、依里が自身の玄関先で父親に「好きな女の子に会いに行く」と言わされていました。
そのすぐ後に依里が「ごめん、嘘」と言った後に父親に怒鳴られていました。
やはり、依里自身も湊に好意を抱いていたと思います。
星川は、なぜ浴槽に入れられていた?
ここがかなりの難問だったと思います。
このシーンでの謎は2点あります。
- 引っ越すと言っていた依里がなぜ浴室で1人で項垂れていたのか。
- 家の玄関が開いており、湊が入れた。
引っ越すと言っていた依里がなぜ浴室で1人で項垂れていたのか。の考察
依里の体についた暴力の跡が理由だと思います。これは、父親からの虐待が原因で浴槽にうずくまっていたのだと考察します。
家の玄関が開いており、湊が入れた。の考察
依里の父親が酔ったままお酒を買いに行っているシーンがありました。ここは空想ですが、酔っているため鍵をかけるのを忘れていただけだと思います。
星川は、発達障害?知的障害?
これは劇中の星川の下記行動を元に考察します。
- 鏡文字
- いじめをいじめと理解できていない様子
鏡文字を書いてしまう子はよくいるようです。
ただ、通常は治る場合が多く、小学生になる頃には治っている場合がほとんどのようです。
星川くんの様に小学生になっても尚、鏡文字を書いてしまう場合は「SLD(限局性学習障害)」を疑う必要がある様です。
このことから、星川くんは知的障害の疑いがあったのがわかります。
また、星川くんの父親が「あれは豚の脳が入っている、人間に戻してやらなくちゃ」と言う発言から星川くんの父親は知能に問題があると確信していた。
【怪物】最後・結末の考察
2人は最後、死んだのか?
誰しもが思うシーンですね。
結論
「見ている人で解釈は分かれる」
です!!
分かれるであろうパターンに分けてみました。
パターン1(死んでいる)
これはSNS上でも多くの声が上がっていました。
豪雨により土砂崩れが起き、乗っていた電車が横転し、地下の様な通路から這い上がった先では雨が上がり晴天に。
その後2人はもともとあったバリケードが無くなった電車道を駆け抜け、光に包まれていく。
- 「雨から晴天」
- 「土砂崩れで電車が横転」
- 「光に包まれていく」
- 星川の「生まれ変わったのかな?」
このシーンとセリフから2人は死んでしまったのでないかと思う人も多いのではないでしょうか?
パターン2(死んでいない)
実はこの説、是枝監督と脚本の坂本氏の2人が提唱しています。▼▼
光の中に向けて走っていくラストシーンについても言及。中には2人が死んでしまったという解釈があることを受け、坂元氏は「僕もメールをもらったが、何を言っているんだと思った。彼らはこのまま生き続けるとしか思えない一択」と強調。是枝監督も、「彼らの生を肯定して終わるという共通認識があった。ただ、光に満ちているから現実離れしているという意見を否定するつもりもない」と補足した。
引用元:The Hollywood Reporter Japan
実は筆者もこちらの意見には気づきがあります。
それは以下の点で辻褄が合うからです。
シーン | 麦野と星川 | 安藤さくら達 |
トンネルの出口 | 大木が倒れてきた | 大木が倒れていない |
土砂の量 | ごく少量 | 大量 |
電車の状態 | 正常でのちに横転 | 横転し土砂に飲み込まれている |
天気 | 雨が降ってきて、のちに晴れ | 豪雨 |
また、安藤さくら達が横転した電車内を見ているシーンで、大雨の中に湊が着ていたカッパが確認されており、劇中最終の星野くんらが電車から地下に降り立ったシーンでは、すでに湊はカッパを着ていなかった。
このシーンから、時系列が違う2つのシーンでこうも星川くんらと安藤さくら達が別の時間に到着していたことがわかる。
ここでいくつかの疑問点が生まれる。
- なぜ地上に上がった時に晴れていたのか
- 大声で叫んでいた声は聞こえていない?
- 元々あったバリケードがなぜないのか
- 生まれ変わったかの確認
なぜ地上に上がった時に晴れていたのか?
ここに関しては
- 単純に雨が止んで晴れた説
- 映画のラストを綺麗に表現したかった?
この点から、結末の違いから二つの考察がだ切る形になる。
大声で叫んでいた声は聞こえていない?
ここに関しても同上である。
可能性として、保利先生が叫んでいる最中にはもうすでに電車から脱出してから時間が経過していたため聞こえなかった説が濃厚であろう。
バリケードが無くなっていた意味
同じく、2人が生きているパターンだと、豪雨により流された説が濃厚だが、
劇中の2人が地上に上がって来た際には、まだバスに土砂が積もっていなかった。
そのため、ここは2人がすでに亡くなっていて、次の生きる道へ進むと言う意味を込めて、壁であるバリケードを取り除いたシーンになっているのではないか説が濃厚だと考察します。
2人は生まれ変わったのか?
ここでは以下の2人のセリフを確認しよう。
依里「生まれかわったのかな」
(坂元裕二『怪物』ムービーウォーカー、2023年、158ページ)
湊「そういうのはないと思うよ」
依里「ないか」
湊「ないよ。もとのままだよ」
依里「そっか。良かった」
ここでは「物理的に生まれ変わった」と「精神的に生まれ変わった」の両面の生まれ変わりがあると考察します。
物理的に生まれ変わった
ここでは、2人ともがすでに亡くなっており別世界での会話であると思うと、かなり辻褄があう。
精神的に生まれ変わった
同性愛は良くないと言う周りの風潮から、自身の感情に正直になれなかった湊が、「元のままだよ」と言ったことにより、身体的には何も変わっていないが、元々感じていた自身の同性愛について強く正直になっていると言うことが示唆できる。
宇宙のビッグクランチとは?
宇宙がどのような状態になって終わるかという理論的可能性の一つ。
引用元:天文学辞典
宇宙は現在加速膨張しているが、やがて加速膨張の原因であるダークエネルギーより重力の効果がより強くなって加速膨張が終わり、宇宙は収縮に転じて最終的にビッグバンと同じ高密度状態に逆戻りする。これをビッグクランチと言う。
監督・脚本家が伝えたかった「怪物」の意味
監督
その名付けようのない、自分の中に芽生えた、得体のしれないもの、あの子たちにとっては。それを彼らは「怪物」と名付けてしまう、もしくは周りの抑圧によってそう呼ばされてしまう、そのことを描きたい。僕が考えたのは、そのように自分の中に芽生えてしまった、自分でも理解できない自分の感情とか存在を、「怪物」だと思ってしまうという感情とか行為というのは、色んな所で色んな状況に置かれた子供たちの中で起きているだろうなと思っていて。多分さきほど坂元さんが「孤独な人」といった人達だと僕も思っています。その子たちを、孤独な状況に追いやってしまっている私たちっていうものを、要するに彼らから見れば私たちの方が「怪物」であるという
引用元:公式サイト
この是枝監督のコメントから、やはり「怪物」とは、自身の中にあって、その感情の様な実態のない「怪物」は様々な人や環境を変化させてしまうのだと言うことを表現されていましたね。
脚本家
3つの段階をふむのは、私が以前経験したことなのですが、車を運転しておりまして、赤信号で待っていました。その時前にトラックが停まっていて、青になったんですが、そのトラックがなかなか動きださなくて、しばらく待っても動かないものですから、私は前の車がよそ見しているのかなと思って「プップッ」とクラクションを鳴らしたんですね。そのトラックはそれでも動かなかった。
引用元:公式サイト
どうしたんだろうと思っていると、ようやく動き出した後に、横断歩道に車いすの方がいらしたんです。そのトラックは車いすの方が渡り切るのを待っていたんですが、トラックの後ろにいた私にはそれが見えなかったんですね。それ以来、自分がクラクションを鳴らしてしまったことを後悔し続けておりまして、このように世の中には普段生活していて見えないことがあり、私たち、私たちと言っていいのか、まず私自身、自分が被害者だと思うことにはとても敏感ですが、自分が加害者だと気付くことはとても難しい。それをどうすれば加害者が、被害者に対してしていること、気付くこと、それができるだろうか、そのことを10年余り常に考え続けてきて、その一つの描き方として、この方法、この描き方を選びました。
このコメントとからも、「怪物」とは内面的な存在であると言うことが伺えますね。
「ネタバレ注意」映画【怪物】結末ラストを徹底解説と考察まとめ
今回、映画「怪物」について考察をまとめてみました。
この映画では、人間の持つ思考による「思い違い」や「勘違い」、「嘘」、「感情」、「固定概念」と言った実物として存在しないものが周りの人物や環境を変化・壊していく様は描いています。
それと同時に、そう言った“もの”こそが「怪物」であり、人であれば誰しもがその怪物によって周りに影響を与えてしまう。
今回は、脚本家の坂元氏によるオリジナル脚本でしたが、劇中で繰り広げられる「学校内の教師への待遇」・『LGBTQ+』に触れた、性トラブル」・「児童虐待」、これらの問題は、この社会ではほんの一部に過ぎないと思います。
カンヌ凱旋記者会見で坂元氏がジョン・キャメロン・ミッチェル監督に言われた「人の命を救う映画」であるとは、まさしくである。
筆者も映画かなり好きで毎週5作品ほど観ているが、映画であるが故にエンターテインメントによる問題の提起はとても重要なことであると思います。
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